蒲生氏郷公像
付近住所 滋賀県蒲生郡日野町上野田 |
蒲生氏郷公は、弘治2年(1556)日野中野城で賢秀の子として生まれる。幼名鶴千代。 織田信長に従い 元服して忠三郎賦秀と改め信長の娘冬姫を妻とする。 信長が本能寺の変にたおれた後豊臣秀吉に従い、名を氏郷と改め、天正12年(1584)戦功によって伊勢松ヶ島12万石に移される。松阪に新城を築いて移った氏郷の徳を慕い、多くの日野商人が松阪に移住した。 天正18年(1590)小田原陣後、秀吉は氏郷を奥州の押えとして会津若松92万石に封する。 文禄元年(1592)名護屋に向かう途、氏郷は中仙道武佐の辺より郷里日野を望み、 思ひきや 人のゆくへそ 定めなき わがふる里を よそに見んとは の歌を詠む。この像はそのときの姿を写したものである。 文禄4年(1595)病に倒れ、40才にて京で没する。 |